ふつうの一日
公開: 2024-04-20 改訂: 2024-04-20
恥の多い10年でした。
…と言えるほどには大したこともない10年でしたね。
一言でまとめると、自分がどれだけ面白くない人間なのかということに向き合ってきた10年だった気がします。
無味無臭の優等生、あまり自分を出すことも出来ず内省ばかりの青年期でした。
振り返ると、良くない思い出ばかり浮かんできますね。
なので、良かったことだけ振り返ろうと思います。
3つあります。
ひとつは、とてつもなく運が良かった。
将来のことなんて何も考えず、ただ物理を学びたいというだけで京都に来ました。贅沢ではなくとも、自分の希望する学生生活を過ごせました。
大切な良い出会いもありました。
研究職に進む自信を失っても、自分にちょっとばかり適正のある職を見つけることもできました。今もなんとか続けられています。
職場にも恵まれています。
ちょっと勉強ができるだけの凡人にお金を払って仕事を頼んでくれる会社があるというのは、改めてすごいことだなと感じます。会社勤め自体は正直嫌気がさしている部分はありますが、それは社会構造に対してであり、雇用してくれること自体は感謝しています。
この過程の中で、僕自身が死に物狂いで逆境を跳ね返すような努力をしたかと言うと、全くそんなことはないです。いつも誰かが助けてくれたり、誰かの作ってくれた環境で自分の能力を発揮できたケースがほぼ全てです。僕はいつだって平凡でした。
この10年に限りませんが、とにかく僕は運が良かったです。
2つ目に良かったことは、10年(それ以上)の内省を続けて、ようやくこの1年くらいで肩の力が抜けてきて、生きやすくなってきたことです。
もう少し自分を出してもいいし、他人は思ってるより僕に興味が無い。そして、全員に好かれることはできないんだなと今更ながら理解してきました。
あまり周りの評価も気にならなくなってきました。
良い意味で力が抜けてきた気がします。
おどおど挙動不審な振る舞いしかできなかった19歳の青年は、ほんの少しだけ自信をつけつつあります。少しだけね。
10年遅いですが、これをもって僕の"成人"としたいくらいに大真面目に思っています。
最後3つ目は、京都に住むことができたことです。
2年ほどの空白期間がありますが、この10年はずっと京都に住み続けました。
学生時代の思い出があるというのも大きいですが、第一印象から大好きなこの街に今も住むことができています。
京都は良い街です。
最近も観光にまつわる問題がとりあげられますが、こんなに日本的で魅力的な街の一部になれている事をとても嬉しく思っています。
このままお金を落とし続けて最後に骨も落としたい。そんな意気込みです。
かな〜りざっくりした振り返りですね。
本当は今日近くのスーパーに行った時にもう少しいろいろ考えた気がしますが、そんなに書きすぎても仕方ないですね。こんなところにしておきましょう。
次の10年の意気込みといきましょうか。
改めてなのですが「自分らしくいる努力をする」なのかなと思っています。
先述しましたが、とにかく自分を出せず変に力が入りすぎた青年期を過ごしました。
正直、めちゃくちゃ生きづらかったです。つらかった。
でもここから先は、自分の学びたいことや考えたいこと、大切にしたい人のことを大事にしながら、気持ちよく生きていきたいと思います。
もちろん、京都や日本を次の世代に引き継ぐための責任も僕たちは果たしていかなければなりません。自分なりの責任の果たし方と生き方の良いバランスを見つけていきたい、そんな次の10年にしようかなと思っています。
さて、夜も21時過ぎです。
今日もあとわずか。
2024年4月20日という日はどんな1日だったでしょうか。
いつもと変わらないただの土曜日なのに、なんだかおセンチな一日でしたね。
明日も変わらないよきっと。ありきたりな一日だよ。
それでもまあ、ぼちぼち生きていくさ。
2024-04-20 京都上賀茂にて